Về series [Dokkai Audio]
Việc đọc hiểu Tiếng Nhật chưa bao giờ là dễ dàng, nhưng một khi đã quen việc đọc bạn sẽ góp nhặt được rất nhiều kĩ năng cho công việc cuộc sống. Với seri 2 trong 1 này, GCCSN hi vọng bạn sẽ tìm được sự vui thích trong đọc hiểu và tăng khả năng luyện nghe nhé.
Những từ khó sẽ được chú thích và có lời bình cuối bài tóm tắt nội dung bài đọc.
講義2 論理的であるということ
―論理的に文章を読み取る―
「君の意見は論理的じゃないよ」なんていわれて、「この野郎、いわせておけば…」と腹が立ったこと、ありません? 「まあまあ、そう感情的になるなよ。それが君のいけないところだ。もう少し論理的に考えようじゃないか」なんていわれることも結構ありがち。
こういわれて妙に頭にきてしまうのは、ちまたでは「論理的=アタマがいい」というふうに考えられているからでしょうね。そうなると「論理的じゃない=アタマが悪い」となりますから、「君は論理的じゃない」といわれるということは、言い換えれば「お前はバカだ」といわれていることになり、それはやっぱりほっておけないですよね。
実は、読解力のある人とは、論理的に文章を読み取る力のある人なのです。ただ、読解は論理的にできても、反応は感情的になってしまう人も多いのですが。
この「論理的」という言葉も昨今こん流行の言葉で、一部の例外を除いては、論理的な思考力を持っていることや、論理的なモノの見方・考え方ができることが、現在非常に強く求められているんです。
じゃあいったい「論理的」ってどういうこと?
そう、それを解決しないことには、論理的な考え方を身につけるなんて無理ですよね。大丈夫、思いっきりわかりやすく説明しちゃいましょう。
論理的であるということは、ひと言でいってしまうと、
◎つじつまがあわないことがない (Không có nội dung thiếu tính thống nhất )
ということです。これを別の言い方にすると「筋すじ道みちが通っている」などとなります。要するに「矛む盾じゅんしない」ってことですね。
「それとこれとは話が別だ」なんてのは典型的な非論理的いいわけです。論理的であるならば、それとこれとで話が別になってはいけないんです。あくまでも決められたひとつのルールにのっとって善悪を判断しなくちゃいけないんですね。
少しトレーニングしてみましょう。次の会話から論理的に矛盾しているところを見つけて指し摘てきしてください。
A「昨日の会合、どうして休んだの?」
B「いやあ、ごめんごめん。熱が出ちゃってね。家を出ようとはしたんだけど、ふらふらで一歩も動けなかったんだよ」
A「そうだったんだ、それは大変だったね。今日はいいのかい?」
B「ああ、ありがとう。おかげさまで薬を飲んだら一気に熱が下がったよ」
A「それにしても残念だったな」
B「え? どうして?」
A「いや、実はね、昨日の会合のあと明智さんが、なんでも臨時収入があったからといってね、寿司をごちそうしてくれたんだよ」
B「ええっ、それはもったいないことをした。誘ってくれればよかったのに」
さあ、この会話のどこが矛盾してますか? どの言い分が変ですか?
もうわかりましたね。そう、最後のBさんの言い分がおかしいですよね。Bさんはその前に「ふらふらで一歩も動けなかった」といっています。だったら誘っても出てこられるわけはないですよね。いや、それどころか電話にも出られないのが普通でしょう。Bさんは、嘘うそをついているか、おごりで寿司を食べる機会をみすみす逃のがしてしまったと聞いて自分が熱で苦しんでいたことも忘れてしまうほど悔くやしかったかのいずれかなんでしょう。
そうそう、女性の台詞せりふとして有名な「デザートと甘いものは別腹なの」っての、あれも典型的な非論理的な言い分です。だからといって、つっこまないでくださいよ。そこがかわいらしさでもあるのですから。
でも、非論理的な言い分が通用するのは、あくまでも私的なお付き合いのみのこと。仕事をはじめとする公的な関係では、非論理的な言い分は通らないことが多いでしょうし(あなた自身によほど極端な人間的魅力や権力があれば別ですが)、あまりに非論理的な言い分は、軽けい蔑べつされるとまではいいませんが、「わがまま」であると思われたり、考える力がないというレッテルを貼られてしまうことにつながりかねません。ですから、やはりきちんと論理的に考える力を養う必要があるでしょう。
また逆に、相手の言い分の非論理的な矛盾を見破る力をつけることも必要です。それができるようになれば、あなたがセールスや営業ならば顧こ客きゃくの信用を得られるようになるでしょうし、消費者ならば甘い言葉にだまされて余計な商品を買ったり、まんまと高いお金で買わされてしまうこともずっと少なくなるでしょう。もちろん「あの人は頭のいい人だ」ともいわれるようになるでしょうね。
【問題】次の文章を読んで、筆者の言い分の矛盾点を指摘してください。Hãy cùng đọc và tìm chỗ thiếu hợp lí nhé.
現代社会が直面している課題でもっとも早さっ急きゅうに手立てを必要とするのは、やはり環境問題だろう。酸性雨、ダイオキシン、環境ホルモン、地球温暖化、熱帯雨林の伐ばっ採さいなど、80年代初頭までは耳慣れなかった言葉が次々に市民権を得ている。私自身は割り箸ばしを使わぬよう、マイ箸を持ち運ぶ人間なのだが、頭ではわかっていても行動できる人間は少ないのが残念だ。
環境問題がなかなか解決しにくいのにはさまざまな理由があるが、そのひとつとして、直接的なメリットが見えにくく、したがって、とくに企業の営業上のプラスにはなりにくいことがあげられる。
たとえば自動車。静せい粛しゅく性せいを高めることは消費者へのPRになる。故障が少なくなれば、それもまたよし。居きょ住じゅう空間の広さ、ベンチレイアウトの多た彩さいさなどもまた強力なアピールポイントだ。したがってメーカーは、安心してそこに開発費を注ぐことができる。そこで出た成果はそのまま消費者を魅み了りょうし、自社製品の購入につなぐことが可能になるからだ。
ところが環境問題の場合、それがわかりにくい。たとえば「燃費がよくなる」などは消費者へのPR度も高いが、「排出ガスが数%きれいになる」となると、それはたしかにまわりまわって消費者自身にもプラスをもたらすのだけれど、「自分がいくら気を使っても、他の人がそうでないクルマに乗っていたら同じじゃないか」と思われてしまうのもまた事実だ。燃費のように直接家計に響くのなら別だが、「排ガスが数%きれいである」などでは、積極的なクルマ選びの理由には、なかなかしてもらいにくい。官公庁の公用車や企業イメージを考える企業の社用車に多少需じゅ要ようの伸びが期待できる程度だろう。
そこで、目に見えるメリットと結びつける必要がある。環境に配はい慮りょしたクルマは税制面での優遇措置が受けられるようになっているのもその一例だ。
こうした環境問題を積極的に理解してもらうために、私の主しゅ宰さいする環境保護団体では街頭でのチラシの配布に余よ念ねんがない。ティッシュペーパーをつけているわけではないので、なかなか受け取ってもらえず、たまに受け取ってもらってもすぐに捨てられたりしてしまうのが悲しいところなのだが、どれだけむなしく捨てられようとも私たちの団体は、いつか環境問題の重要さを多くの人が認にん識しきしてくれるようにと、今日もまたチラシの配布にいそしんでいるのである。
【答え合わせと解説】
【正解】
割り箸ばしを使わぬように気を配っているといっておきながら、無駄になるチラシを配布することには無む頓とん着ちゃくである点。(Sự mâu thuẫn ở đây là tác giả không dùng đũa xài liền để bảo vệ môi trường, nhưng lại vô thức phát tờ rơi (dù người ta không nhận ) để tuyên truyền nâng cao ý thức bảo vệ môi trường của mọi người, giấy cũng làm từ gỗ mà )
Lời bình: Bài này hơi dài nhỉ, nhưng thật sự khá bổ ích cho việc đọc hiểu. Để đọc hiểu đúng bạn cần phải diễn giải nội dung một cách logic